北海道・夕張市を走るJR石勝線夕張支線(新夕張-夕張 16・1キロ)が31日、最終運行日を迎える。炭鉱のまちの盛衰とともに127年の歴史を歩んできた路線の廃止に、鉄道ファンだけではなくふだんは利用しない地元の住民たちも乗車して、別れを惜しんでいる。
JR北海道は乗客増に備え、3往復増やして1日8往復に増便。車両も2~3両に増やした。
家族で乗車していた沿線の照源寺の住職、小林将勝さん(39)は「子供たちは列車自体乗るのが初めて。生まれ育った町の列車の思い出を作るためにも乗せてあげたかった」と話す。
車窓に顔をつけて景色を眺めていた双子の依真莉ちゃん(4)、陽真莉ちゃん(4)は「楽しかった」とはしゃぐ。
1歳の長男を抱いていた妻の由佳さん(38)は「おじいちゃんおばあちゃんの所まで、列車で『初めてのお使い』をさせたかったが廃線でその夢もかなわくなった。最後に子供たちを乗せてあげられよかった」と話していた。
クラブ活動で利用していたという夕張高校2年、鈴木菜摘さん(16)と北越舞さん(16)は「今は廃線で人が乗っているが、ふだんは空気を運んでいるのと思うぐらい乗客は少なかった」と振り返る。「この列車がなくなるとバスを使わなければならなくなるが、不便になる」と話す。
2年前から新夕張駅の駅長を務める田渕浩二さん(57)は「山間のため冬は一気にふぶいて雪が積もり、排雪に時間がかかるなど苦労もあったが、踏切の不調を市民が知らせてくれたり、地元の住民に支えられてきた」と感慨深げだった。
夕張駅でラストランを記念する掛け紙の駅弁で最後を盛り上げようとしているのはビストロ張元(ばりげん)店長、橋場英和さん(57)だ。
橋場さんは10年前に、夕張駅そばの屋台村で飲食店を経営するため夕張市に移住。ダイヤ改正で夜10時台の最終便がなくなり、タクシーも午後8時半までの営業になり、廃線の危機を数年前から感じてきたという。
「時代の流れとはいえ、支線廃止による影響は大きい。廃線が決まってから多くの鉄道ファンが訪れているが、この廃線バブルが終わってから、どうまちづくりをして人集めをしていくか正念場になる」と話していた。
夕張支線は明治25(1892)年開通。石炭輸送を担ったが、エネルギー転換で石炭産業が衰退。炭鉱が廃山になり、過疎化が進んだ。平成28年、夕張市側からの提案で、代替交通の確保やまちづくりへの協力を条件にJRと廃線に合意し、JRが「単独では維持困難」とする対象区間10路線13区間のうち初の廃止路線となった。
夕張駅午後7時28分発がラスト列車。住民らは黄色いハンカチとペンライトで見送る。(杉浦美香)