文化の差異を語るとき、ぼくがよく引用するエピソードの1つとして、自動車の国際基準を討議する場での各国代表の反応の違いがある。(安西洋之)
欧州の代表が「この基準は人々の命を救うのに貢献するのか?」と第一に質問をするのに対して、「この基準はビジネスに貢献するのか?」と米国の代表が発言する。
先月はじめに書いたコラムとも関係するテーマだ。ミラノ工科大学経営学の教授、ロベルト・ベルガンティの「米国のデザイン言語はビジネスとテクノロジーと直接結びついているが、欧州のそれは人々とリンクしている」との言葉である。
ぼく自身、反省すべきことがある。
文化をビジネスのものさしにあてはめることをやってきた。文化を文化として語ると、キリがない。言うまでもなく、文化とは人々の考えであり行動である。しかしながら、人の語ることには幅があり過ぎるから、モノに反映された文化を解釈しようとする。
それがローカリゼーションマップである。
また、文化文脈を考慮するか否かを判断する1つの基準として、ビジネス上のメリットがあるかどうかを示してきた。
ビジネスの手法としては有効なのだが、文化をビジネス的視点の切り口から語る弊害は感じてきた。