「平成○年は西暦でええっと○年」。そんな変換を私たちは幾度、繰り返してきたことか。時に不便を感じながら日本人は、元号と西暦の両方を使い続けている。グローバル化と標準化が進む21世紀に元号を守り続けているのだ。「面倒にはそうなるだけの意味がある」と、神戸女学院大名誉教授で思想家の内田樹氏は言う。面倒の意味とは一体、何なのだろう-。(聞き手 坂本英彰)
--改元が近づいています。グローバル化が進むいま、日本で元号を使い続ける意味は何なのでしょう。西暦で十分との意見もあります
「西暦はキリストの生誕年を基準にした暦法です。価値中立的な暦ではありません。イスラム教にもユダヤ教にも仏教にも、それぞれの宗教に基づいた暦年がある。元号を使うのは日本だけだという乱暴なことを言うひとがいますけれど、似たようなことは世界中どこの社会集団でもやっています。自分たちのために時間を区切り、タグをつけたり、色を塗ったりする習慣は世界中にあります」
「イギリスはビクトリア朝、エドワード朝などと王朝で時代を区切ります。王朝が変わるごとにマナーもファッションも変わる。フランスは帝政期や王政復古期など政体が変わるとインテリアや建築様式が変わる。アメリカはエイジやディケード(10年)で区切り、ジャズエイジとかフィフティーズとか呼ぶ。みんないろいろ工夫してるんです」
--区切る行為は普遍的だが、区切り方は社会集団によるということですね
空気を封印する元号
「日本の元号もそれぞれ固有の含意があります。能には『寿永の秋』という詞章がよく出てきますが、平家の没落直前の最後の華やかさの記憶がこの元号には塗り込められている。