【イベント プレビュー&レビュー】ダムの底に消えた徳山村の記録 (1/2ページ)

2014.2.22 05:00

増山たづ子「ミナシマイ(最後)の村民運動会」(1986年)

増山たづ子「ミナシマイ(最後)の村民運動会」(1986年)【拡大】

  • 大西暢夫「徳山小学校校門跡の増山たづ子」(1996年)

 □増山たづ子の展覧会「すべて写真になる日まで」

 静岡県長泉町のIZU PHOTO MUSEUMで増山たづ子の展覧会「すべて写真になる日まで」が開催されている。岐阜県徳山村(現・揖斐川町)出身の増山は「カメラばあちゃん」として知られたアマチュア写真家だ。

 現在、徳山村という名の自治体は存在しない。村を水没させる徳山ダム計画によって1987年に廃村になったからだ。

 増山はこの計画が現実味を帯びてきた77年からピッカリコニカというコンパクトカメラで村の撮影を始めた。ちょうど60歳の時だった。以降、明日ダムになるとも知れぬ切迫感の中で年金のほとんどをつぎこみながら撮影を続けた。廃村後も村の跡地に通い、2006年に亡くなるまで10万カットもの写真を撮影したという。戦争で夫を失った増山は「国が一度やろうと思ったことは、戦争もダムも必ずやる」と思い、せめて残せるものを残そうとカメラを手にしたのだ。運命共同体だった村がダム建設慎重派と促進派に割れ、険悪になっていく最中のことだった。

 村民たちや村の風景、行事、補償交渉、動植物など村の全てが被写体となっている。村民の笑顔の写真が多いが、そこに添えられた増山の言葉は涙を誘う。

 増山も村民たちも笑顔の中に悲しみを沈めながら写真を撮り、撮られていたのだろう。写真の撮影が別れのあいさつのようにも見える。08年、徳山ダムは最初の計画から半世紀を経て完成し、村の跡地も水の底に消えた。

 展覧会場には増山が残した600冊のアルバムから抜き出した写真や言葉、徳山村の植物で作った押し花などが展示され、在りし日の徳山村の姿を伝えている。

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