【ニッポンの分岐点】
平成9年に臓器移植法が施行されてから16年あまりが経過した。これまでに国内で行われた脳死下の臓器提供は239例。22年には提供条件を緩和する改正法も施行されたが、それでも昨年の提供数は45例にとどまる。欧米で年間数百から数千の脳死移植が行われる中、何が日本の停滞をもたらしたのか。元をたどると昭和43年に行われた日本初の心臓移植手術、通称「和田移植」にたどり着く。
「新しい医学の誕生」
四国の東端、徳島県阿南市で地域医療を担う馬原医院の待合室。掲げられた木札には、日本の医学史に欠かせない医師の名が毛筆で書かれている。
〈馬原医院名誉顧問 和田寿郎(じゅろう)〉
「昭和55年の開院時にいただいたんだけど、一昨年に先生が亡くなられたときに思い出し、急いで飾ったんだ」。院長の馬原文彦(71)は誇らしそうに話す。
馬原自身、ダニを媒介に発症する日本紅斑(こうはん)熱の発見者として知られるが、昭和43年に実施された日本初の心臓移植手術に参加した一人としても、医学の歴史に深く関わっている。
馬原は当時26歳で札幌医科大学(札幌市)の胸部外科に入局して半年足らず。「使い走りの助手だった」。執刀医が46歳の教授、和田寿郎。その和田らが手術台を囲む合間から見た患者の様子が忘れられない。