森友学園への国有地売却問題は、財務省による決裁文書の改竄(かいざん)が発覚、国会では改竄の指示があったかどうかが主な争点となり、安倍晋三首相や麻生太郎財務相の責任が追及されている。果たして明確な指示の有無が、組織の長の責任の有無の基準なのだろうか。明確な指示があれば責任を負うべきで、明確な指示がなければ責任を負わなくてもよいのだろうか。
これは、部下が忖度(そんたく)した責任を、上司は負わなくてもよいのか、負うべきなのかという問題だ。明確な指示の有無は、責任の有無を判断する基準とはならない、明確な指示がなかったとしても責任を負わなければならないと考える。部下に忖度させた責任は上司にありということだ。
分かりやすい例が、労働基準監督署による民間企業に対する臨検だ。就業規則や労使協定で定めた通り労務管理されているか、規定以上の長時間労働や深夜残業が行われていないか、残業代が適正に支払われているかなどが検査される。
私は国内外の複数企業で人事部長を務め、さまざまな地域の労基署からこの臨検を受けてきた。そこで必ずといっていいほど争点になることが、上司からの明確な指示のない残業が、残業にカウントされるかということだ。
社員が残業申請し、上司が承認したり、上司が残業の指示命令をしたりした場合についてのみ残業させる企業もある。上司が承認や指示命令をしていない、いわゆる自発的な残業は、残業として認められるか、残業代が支払われるかという問題だ。
労基署の判断は明快だ。明確な指示命令がなかったとしても、自発的とはいえ実際に残業をしたのであれば、非明示的な暗黙の指示命令があったと解釈され、残業として見なされて会社は残業代を支払わなければならないというものだ。
上司が明確な指示命令をしなかったとしても、その意向を忖度して、そして周囲の雰囲気を敏感に感じ取り、部下が自発的な残業をした場合、その忖度には命令性があったと見なされ、残業として取り扱われ、労務管理の責任が生じるのだ。
この取り扱いには合理性があると思える。同じ立場の同僚同士であれば、明確な依頼がなかった場合に責任が問われることはない。
しかし、より大きな権限を持つ上司と部下の関係では、明確な指示命令がなかったとしても、命令性ありと見なされるという、上司と部下の関係の実態を踏まえた妥当な判断と思える。
このように申し上げると、これは順法行為においてのみ言えることで、決裁文書改竄という違法行為についてまで、非明示的な暗黙の指示命令があったと解釈されてはたまらないという声が聞こえてきそうだ。
これに対して、未必の故意の考え方を思い浮かべる。明確な犯意がなくても、相手に被害が及ぶ危険性を認識していれば、故意と見なされて、その責任が追及されるという考え方だ。
このように考えると、決裁文書の改竄を明確に指示したかどうかを追及することは、組織の長の責任を問うことにはつながらない。直接的で明確な指示命令がなかったとしても、組織の長は、組織内で不適切な行為が行われれば、その責任を免れない。それが職を辞すべきほどの責任かどうかは、民間企業であれば、最終的には株主や企業業績や社員満足度によって問われるだろう。民主主義国家の政治家は、まさに民意を反映した選挙によってそれが問われると思えるのだ。
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【プロフィル】山口博
やまぐち・ひろし モチベーションファクター代表取締役。慶大卒。サンパウロ大留学。第一生命保険、PwC、KPMGなどを経て、2017年にモチベーションファクター設立。横浜国立大学非常勤講師。著書に『チームを動かすファシリテーションのドリル』(扶桑社)。55歳。長野県出身。