【トップの素顔】渡邊五郎 三井物産元副社長(2) (1/2ページ)

2016.2.24 05:00

たいまつとランプで暮らした疎開先の四万十町魚ノ川で(左)

たいまつとランプで暮らした疎開先の四万十町魚ノ川で(左)【拡大】

 ■非行グループの呼び出しにひるまず

 高知市立潮江(うしおえ)小学校に通いました。高知市の中心街から鏡川を渡ったすぐのところ。やんちゃな子供が多い土地柄でしたが、そのなかでもガキ大将でした。

 ◆小学5年生で疎開

 運動会の騎馬戦では、私が赤組だと必ず赤組が勝ち、白組なら白組が勝つ。小さい頃は周りに比べて体が大きかったのに、いつも騎馬の上に乗って闘っていました。

 1945年、小学5年生になると高知もどんどん戦火が激しくなり、自宅が空襲で焼失し、疎開することになりました。

 疎開先は高知県四万十町魚ノ川。JR土讃線で高知駅から西方面にある土佐久礼駅から1駅の間に24ものトンネルを抜けたところの影野駅から、さらに2キロぐらい行った山の中、四万十川の上流に近いところです。

 そこに山小屋を建て、小学校5年生の2学期から5年間、中学校3年の2学期まで過ごしました。自然はいっぱいですが、電気はなく、たいまつとランプのみ。夜になると真っ暗。2部屋しかなく、父母と一緒に寝ていました。

 父は木材の仲買人をしていましたが、終戦直後ですから決まった収入があるわけではなく、小学6年生の私も5升のコメを担いで、高知の町にコメを売りに行ったりしていました。いくら貧しい時代でも、5年間もたいまつとランプで過ごした人間はいないかもしれません。恥ずかしながら、珍しい体験でした。

 いまは廃校になっていますが、仁井田中学に入学しました。

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