【世界に夢と感動を-サミーの40年-】(7-2) (1/5ページ)

2015.11.27 05:00

里見治会長

里見治会長【拡大】

  • 28歳の頃の里見会長。徳丸工場内で
  • さとみが市場に投入したアミューズメント機器の1号機「ポニーダービー」
  • さとみのアレンジボール遊技機1号機「ミラクル」
  • アミューズメントマシンショーに出展
  • 東京都板橋区にあった徳丸工場の内部(1978年開設)
  • 里見会長自らデモ説明
  • 現場を駆け回っていた頃の里見会長

 □里見治会長に聞く

 ■潜水艦ゲームヒット 遊技機分野進出

 今年設立40年を迎えるサミーは、その設立以前からアミューズメントビジネスと格闘してきた歴史を有している。今ではパチンコ・パチスロ機メーカー大手であり、総合エンターテインメント企業へと発展したセガサミーホールディングスのルーツ企業としても知られるが、その挑戦はまれにみるほどの波乱に満ちたものだった。同社のこれまでの歩み、現状、将来などについて、創業者であり現会長の里見治氏に聞いた。

                   ◇

 --サミーは今年40周年ということですが、この企業のビジネスにはもっと長い歴史がありますね

 「エンターテインメントビジネスとの出合いは、1960年代前半のまだ大学生だった頃でした。よく遊びに行った複合レジャー施設でアミューズメント機器会社の営業マンと知り合い、その人の仕事を手伝ったのが始まりです。その営業マンは大変羽振りが良く、まだ大卒の初任給が1万8000円程度だった時代に、いつも30万円以上の現金を持ち歩いていました。銀座に行けば、酔っぱらってホステスに1万円のチップを渡す。今でいったら10万円に当たる金額です。その景気の良さに大変興味を持ちました。手伝いで始めた仕事でしたが、後にその営業マンと共同で出資して会社をつくりました。私は当時、既に東京・大塚でバーを経営していましたので、学生ではありましたが出資金が作れたのです。私はその後、その会社から出資金を返してもらい、自分で事業を始めました。65年には家業の豆腐店を経営する『東京栄養食品』の社名を『さとみ』に変更。この会社にアミューズメント部門を作り、クレーンゲームやラジコンサーキットの開発・販売から始めたのです」

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