豊かな緑で「木(紀)の国」と呼ばれる和歌山で大正期に創業、木材加工、販売の地元パイオニア企業として、90年余りの歴史を刻む山本進重郎商店。バブル経済崩壊後には、木材を事前に加工して建築現場へ配送する「プレカット」技術にいち早く目を付け業績を伸ばした。一方で「スーパー銭湯」経営やゴルフ練習場などレジャー産業も展開。伝統事業を守りながら、新たな収益事業に常に取り組んでいる。
◆阪神大震災が転機に
山本進三社長の祖父、進重郎氏が1922年に木材問屋として創業。和歌山では「ヤマシン」の名前で親しまれる。
34年には卸しだけでなく、製材業にも進出。当時の製材工場は木くずを燃料とした蒸気機関を利用していたが、電動のシャフトやベルトコンベヤーなど、最新設備をそろえた工場を整備した。こうした「先取の精神」は2代目の敏夫氏、3代目の進三氏へと受け継がれた。
90年代後半、木材業界全体は苦境に立たされていた。海外産の安価な建材が大量に輸入され、国内産の木材需要が落ち込んでいた。同社では原木販売を取りやめ、木材の付加価値を高める新事業として「プレカット」技術の導入を決断した。
それまで、熟練の職人が建築現場で加工していた建築木材を、設計図を基に事前に工場で必要な形状に機械加工し、建設現場に配送するシステム。均一で高品質な建材の提供が可能になったほか、建築工期を大幅に短縮、人件費の削減にもつながるなどのメリットがあった。
ただ、木材加工は当時、大工の職人仕事とみられており、機械加工のプレカット材は敬遠されがちだった。それを覆したのが95年の阪神大震災。被災地で需要が急拡大し、プレカット技術が認知された。