大阪(伊丹)空港が17日に開港75周年を迎える。平成26年度は、経営基盤強化のため統合した関空と運営権売却(コンセッション)を実施する大きな節目の年だ。より多くの売却益を得るため“二人三脚”で事業価値向上を図る。しかし、伊丹空港自体は今後の大幅な収益増は見込めず「廃港論」もくすぶる。関空との棲み分けをどう図るか、将来像を示すことが求められている。
関空にシフト
伊丹空港は昭和14年に、軍民共用の「大阪第二飛行場(伊丹飛行場)」として開場した。第2次世界大戦後、米軍による接収を経て33年に「大阪空港」として再開港。翌年「大阪国際空港」に改称し、国際線の乗り入れも始まった。
高度成長に伴って伊丹空港では発着回数が増え、機材も大型化した。44年に旅客ターミナルビル、45年には3千メートルのB滑走路が供用を開始し、空港はほぼ現在の形となった。拡大する航空需要を取り込み、伊丹空港は賑わいをみせた。
半面、「利便性が高い都市型空港の弊害も顕在化」(業界関係者)していった。周辺地域で騒音や排ガスの環境問題が発生し、午前7時以前、午後9時以降の民間機発着が禁止され、1日の発着回数も370回に制限された。